2013年10月27日日曜日

円座物語

日本では、産後のお母さんと赤ちゃんは
大体1週間前後入院していますが、
ベッドが慢性的に足りないブータンでは、
産気づいた次の人にベッドを空けなければならないため、
早ければ6時間程で退院を余儀なくされます。

まだまだお母さんも赤ちゃんも
自信を持って退院できる状態でないこともあり、
お家に帰った後も母乳育児がうまく行かなかったり、
赤ちゃんが黄疸になったり、脱水で熱を出したりと、
様々な理由で私の働く新生児病棟に再入院となる事も
しばしばです。

今回も産後間もなく退院した赤ちゃんが、
新生児黄疸になって帰ってきました。

ところが、ついさっき入院したばかりなのに、
お父さんが、こう言います。
「先生、どうか退院させて下さい。
妻はお産の傷が痛み、具合が悪く、座る事も出来ません。
赤ちゃんには日光をあてて、
祈祷師にお祈りをしてもらって、
何とか家で治すように頑張りますので、
どうか退院させて下さい。」

新生児黄疸とは、光線療法という光を当てる治療をしないと、
ビリルビンという脳にとって有害な物質を身体の中から
取り除く事ができず、ひどくなると脳の発達に影響が出る
可能性のある深刻な問題です。

しかし、いくら説明してもお父さんは、
妻の事が心配でなかなか聞き入れてくれません。

そこでふと、一緒に働いている青年海外協力隊の
日本人の看護師さんから聞いた話が頭をよぎりました。
日本の産科病棟では、傷の痛む産褥婦さんのために、
円座(ドーナッツ型のクッション)を使っているが、
椅子もままならないブータンでは、産後の身体で固い地べたに座るのは、
さぞかし辛かろうというのです。

そこで、その話しを聞いた時に、早速日本から取り寄せておいた、
空気で膨らむ円座をそのお母さんに渡してみました。

「これをちょっと試してみてください。それでも辛かったら
何か他の方法を考えます。」

すると、円座の上に座ったとたん、
痛みで歪んだお母さんの表情がみるみる和らぎ、
「これなら大丈夫。」といって、
あっさり入院治療を継続する事に同意してくれました。

恐るべし、円座のパワー。
本当にちょっとした些細な事ですが、
日本の看護師さんの知恵と、お母さんへの思いやりの看護が、
ブータンのお母さんにも届いた瞬間なのでした。