2012年4月13日金曜日

幸せのお裾分け、チャンケ(ブータン風甘酒)

ブータンではお産のあと、
「チャンケ」と呼ばれる飲み物を産褥婦に飲ませる風習があります。

チャンケは発酵したお米に、お水とバターを入れて沸騰させ、
最後に炒り卵を入れて作ります。
言わば、「卵入りおかゆ酒」という感じです。

授乳婦にアルコール?と普通は思いますよね。

でも、お産を終えた女性の疲労を和らげ、
エネルギーを補給し、
鎮静効果で母乳のでもよくなると信じられているのです。

これくらいのアルコール度数なら、むしろ効果の方が高かろう
ということで、こちらの医師達も目をつぶっているという訳です。

ブータンでは、近しい人(親戚や職場の同僚)がお産をすると、
家まで訪問してお祝いをするのが一般的です。

この訪問客達にも、この「チャンケ」が振る舞われます。

言わば、幸せのお裾分けですね。

このチャンケ、寒いティンプーの夜に飲むと、
体もぽかぽか温まり、たまりません。
日本の甘酒にちょっと似ています。

私の大好物「チャンケ」を
みなさん是非一度お試しください。

写真は私の大好物達。
ヤクの干し肉、エゼ(唐辛子の和え物)、ンガジャ(ミルクティー)そしてチャンケ


山火事、事故。そして助け合い。

ブータンの気候は乾燥しているので、
人災、天災にかかわらず、しょっちゅう山火事が起こります。

先週の日曜日、
山火事の消火に向かう途中の、大勢の若い消防士を乗せた車が、
崖から転落し、死傷者が多数出る事故がありました。

負傷したのは、着任して最初の任務に赴く若い警察官達でした。
(ブータンでは、消防は警察の一部だそうです。)

日曜日の午後、そうとは知らず家で書き仕事をしていた私は、
仲間のドクターからの、「すぐ救急外来に来て手伝って!」
という電話で、慌てて家の外へ飛び出しました。

目の前の山からは、白い煙と炎が上がっており、
救急外来の外には、すごい野次馬の人だかり。

走って救急外来に向かうと、多くの負傷者が運ばれて来て、
混沌とした状態です。

最初は救急外来の医師と、数人の通りがかりの医師で対応していましたが、
災害大国日本からやって来た私にとっては当たり前の「トリアージ」とか、
外傷の初療とか、ブータンの人はみんなそれほど経験があるわけではありません。

日本では当たり前の「コード・ブルー」(院内緊急召集コール)とかもないので、
いったいどこからどうやって聞きつけたのか、不思議なぐらいですが、
見る見るうちに、外科医、脳外科医、整形外科医、放射線科医など、
外傷診療に関係する専門医が集結し、それどころか皮膚科医や助産師まで、
病院内外から集まって来て、自発的に手伝っています。

そして保健省の課長や大臣、気がつくと、学生や掃除係まで患者の搬送や
できることを自ら見つけて手伝っているではありませんか。

それでだけではありません。
何と国王陛下までもがおいでになり、
診療の邪魔をしないようにと配慮しながら、
部屋の片隅にたたずみ、じっと黙って様子を見守っておられました。

結局、約1-2時間後には全ての患者が無事収容され、
救急外来は落ち着きを取り戻しました。
結局死者2名、負傷者17名(うち2名重症)だったそうです。
翌日、首相もお見舞いに訪れました。

ブータンでは、近しい人が病気や怪我をすれば、
すぐお見舞いに行くのが当たり前。
今回は大きな事故だったのに加え、
公務中の警察官が巻き込まれた事故だった
ということもあったのでしょう。

私にとっては、災害医療の必要性を改めて認識したのと、
ブータン人の「助け合い」の底力を見せられた、
貴重な経験でした。

亡くなられた、若い御霊のご冥福を
心からお祈りします。








2012年4月1日日曜日

バターランプ

ブータンのお寺で必ず目にするもの、
それは「バターランプ」です。



お寺だけでなく、
どこの家を訪れても
大なり小なり必ず目にする家庭の仏壇にも、
まず必ずと言っていい程、
このバターランプが置かれており、
毎夜の闇を照らしています。

昨年に引き続き今年も、国王王妃両陛下をはじめ
ブータン政府要人と在留邦人とが、東日本大震災の
被災者を思い、共に祈りを捧げた追悼記念式典でも、
このバターランプが灯されました。

思えば日本でも、お誕生日や冠婚葬祭など色々な場面で、
キャンドルが多用されていますが、その意味合いは様々ですね。

日本だけに留まらず、世界中のあらゆる場面で、
人々がろうそくを捧げて祈る光景を眼のあたりにします。
国境を超えて、人間として同じ感性や考えが、
この小さな炎を灯すという行為に、
宿っていると想わざるを得ません。
むしろ宗教を超えた領域の、
人間の自然な営みなのでしょう。


ローソクの灯には
「燃焼する炎」としての要素と
「周りを明るく照らす光」としての
二つの要素があるそうです。
自らを燃やしながら周りを浄化し、
辺りに光を送り続ける姿は
「超我の奉仕」を象徴しているそうです。

一説では、ブータンのバターランプには、
次のような意味合いが込められているそうです。

バターランプの芯は「人間のエゴ Ego」を、
バターランプの燃料であるバターは「人間の無知 Ignorance」を、
つまりいずれも悪しき人間の習性を表していて、
それを「英知・智慧 Wisdom」の象徴である炎が
両者を燃やす様を毎日眺める事によって、自らを戒めるのだと。

その他にも仏教では、
「煩悩 Desire」の闇を照らす「智慧 Wisdom」 の光として、
あるいは「死者への道しるべ」など、
様々な意味合いが込められているようです。

日本に住んでいた頃、
アロマキャンドルが大好きな私は、
街で見かければ思わず買って集めていましたが、
それを灯してゆっくり眺める時間は、
残念ながらありませんでした。

電気の力で、地球でもひときわ光り輝く島となった日本ですが、
このバターランプが私たちに思い出させてくれることも、
まだまだありそうだなと、ふと思ってしまいました。



出典:http://visibleearth.nasa.gov/