2012年8月18日土曜日

ホスピタル・プジャ(法要)

チリン、チリン

チリン、チリン

ん?

午後の病棟、どこからともなく鐘の音が聞こえてきます。

ブータンでは年中至る所で、プジャ(法要)が行われますが、

今日は病院の年に一度のプジャの日。

普段はホスピタル・ラマが定期的に、
おひとりで病棟を巡回して下さいますが、
今日はそれに加え、特別に偉いお坊さんと、そのお弟子さんである
大勢のお坊さんが、お経をあげながら病棟をひとつひとつ回っていきます。

新生児病棟にも、お坊さんがこんなにたくさん来て下さいました。

















偉いお坊さんに自分の子供を祝福してもらい、
親御さんたちもとても嬉しそう。

お弟子さんたちが、聖水やお守りを授けてくださいます。

















祝福がいただけるのは、患者さんや家族だけではありません。

看護師や医師など、すべての病院職員にも、等しく頂けます。

医療従事者も患者さんも、宗教の前では誰しもが平等です。

ブータンでは、闘病生活においても、
サイコロジカル・ブースター(心理的に後押ししてくれるもの)
としての仏教の役割が、とても大きい事が伺えます。




2012年7月22日日曜日

もう1つの家族のかたちー養子縁組

家族の絆がとても強いと言われるブータンですが、
もちろん色んなかたちの家族があります。

望まない妊娠や孤児、家庭の事情で子供を育てられない
ケースだって当然あります。

NICUに入院する病気や早産の赤ちゃんの親御さんにも
そのような問題を抱えている方々がいらっしゃいます。

親御さんがさまざまな理由で子供を養育できない場合、
例えば日本では、児童福祉法に従って、乳児院等の施設に収容される事が一般的です。
全国で年間約3000人以上の赤ちゃんが、そのようなかたちで乳児院に収容されています。

しかしブータンにはそのような施設が、私の知る限りありません。

代わりにいわゆる養子縁組、つまり里子里親制度が盛んで、
法的な手続きに従って、赤ちゃんは新しい両親の元へ引き取られていきます。

つい先日も妊娠7ヶ月ちょっとで、小さく生まれた早産の赤ちゃんが、
2ヶ月余りの入院期間を経て、新しい両親とともに退院していきました。

血族間、非血族間に関わらず、ブータンで養子縁組が盛んな理由としては、
様々な要因が考えられますが、ひとつには、不妊治療が殆ど行われておらず、
挙児希望のあるカップルにとっては養子縁組がほぼ唯一の選択肢である、
という背景が大きいように思います。
また医療、教育が基本的に無料であるため、子育てにかかる経済的な負担を
それほど考えなくても済む、というのも理由としてあるかも知れません。

また例え病気や障害を持った赤ちゃんであっても、その恩恵にあずかれる
理由としては、やはりチベット仏教に根ざした価値観が影響しているのでは
ないかと考えられます。

家族の中に子供がいる。
それが幸せの1つのかたちであり、
例えそれが自分の血の通った子供であろうがなかろうが、
五体満足な子供であろうがなかろうが、
受け入れ、愛し、そして育む。

それが可能な社会を果たして、
我々は「開発途上の未熟な社会」と呼べるのでしょうか。

みなさまはどう思われますか?








2012年4月13日金曜日

幸せのお裾分け、チャンケ(ブータン風甘酒)

ブータンではお産のあと、
「チャンケ」と呼ばれる飲み物を産褥婦に飲ませる風習があります。

チャンケは発酵したお米に、お水とバターを入れて沸騰させ、
最後に炒り卵を入れて作ります。
言わば、「卵入りおかゆ酒」という感じです。

授乳婦にアルコール?と普通は思いますよね。

でも、お産を終えた女性の疲労を和らげ、
エネルギーを補給し、
鎮静効果で母乳のでもよくなると信じられているのです。

これくらいのアルコール度数なら、むしろ効果の方が高かろう
ということで、こちらの医師達も目をつぶっているという訳です。

ブータンでは、近しい人(親戚や職場の同僚)がお産をすると、
家まで訪問してお祝いをするのが一般的です。

この訪問客達にも、この「チャンケ」が振る舞われます。

言わば、幸せのお裾分けですね。

このチャンケ、寒いティンプーの夜に飲むと、
体もぽかぽか温まり、たまりません。
日本の甘酒にちょっと似ています。

私の大好物「チャンケ」を
みなさん是非一度お試しください。

写真は私の大好物達。
ヤクの干し肉、エゼ(唐辛子の和え物)、ンガジャ(ミルクティー)そしてチャンケ


山火事、事故。そして助け合い。

ブータンの気候は乾燥しているので、
人災、天災にかかわらず、しょっちゅう山火事が起こります。

先週の日曜日、
山火事の消火に向かう途中の、大勢の若い消防士を乗せた車が、
崖から転落し、死傷者が多数出る事故がありました。

負傷したのは、着任して最初の任務に赴く若い警察官達でした。
(ブータンでは、消防は警察の一部だそうです。)

日曜日の午後、そうとは知らず家で書き仕事をしていた私は、
仲間のドクターからの、「すぐ救急外来に来て手伝って!」
という電話で、慌てて家の外へ飛び出しました。

目の前の山からは、白い煙と炎が上がっており、
救急外来の外には、すごい野次馬の人だかり。

走って救急外来に向かうと、多くの負傷者が運ばれて来て、
混沌とした状態です。

最初は救急外来の医師と、数人の通りがかりの医師で対応していましたが、
災害大国日本からやって来た私にとっては当たり前の「トリアージ」とか、
外傷の初療とか、ブータンの人はみんなそれほど経験があるわけではありません。

日本では当たり前の「コード・ブルー」(院内緊急召集コール)とかもないので、
いったいどこからどうやって聞きつけたのか、不思議なぐらいですが、
見る見るうちに、外科医、脳外科医、整形外科医、放射線科医など、
外傷診療に関係する専門医が集結し、それどころか皮膚科医や助産師まで、
病院内外から集まって来て、自発的に手伝っています。

そして保健省の課長や大臣、気がつくと、学生や掃除係まで患者の搬送や
できることを自ら見つけて手伝っているではありませんか。

それでだけではありません。
何と国王陛下までもがおいでになり、
診療の邪魔をしないようにと配慮しながら、
部屋の片隅にたたずみ、じっと黙って様子を見守っておられました。

結局、約1-2時間後には全ての患者が無事収容され、
救急外来は落ち着きを取り戻しました。
結局死者2名、負傷者17名(うち2名重症)だったそうです。
翌日、首相もお見舞いに訪れました。

ブータンでは、近しい人が病気や怪我をすれば、
すぐお見舞いに行くのが当たり前。
今回は大きな事故だったのに加え、
公務中の警察官が巻き込まれた事故だった
ということもあったのでしょう。

私にとっては、災害医療の必要性を改めて認識したのと、
ブータン人の「助け合い」の底力を見せられた、
貴重な経験でした。

亡くなられた、若い御霊のご冥福を
心からお祈りします。








2012年4月1日日曜日

バターランプ

ブータンのお寺で必ず目にするもの、
それは「バターランプ」です。



お寺だけでなく、
どこの家を訪れても
大なり小なり必ず目にする家庭の仏壇にも、
まず必ずと言っていい程、
このバターランプが置かれており、
毎夜の闇を照らしています。

昨年に引き続き今年も、国王王妃両陛下をはじめ
ブータン政府要人と在留邦人とが、東日本大震災の
被災者を思い、共に祈りを捧げた追悼記念式典でも、
このバターランプが灯されました。

思えば日本でも、お誕生日や冠婚葬祭など色々な場面で、
キャンドルが多用されていますが、その意味合いは様々ですね。

日本だけに留まらず、世界中のあらゆる場面で、
人々がろうそくを捧げて祈る光景を眼のあたりにします。
国境を超えて、人間として同じ感性や考えが、
この小さな炎を灯すという行為に、
宿っていると想わざるを得ません。
むしろ宗教を超えた領域の、
人間の自然な営みなのでしょう。


ローソクの灯には
「燃焼する炎」としての要素と
「周りを明るく照らす光」としての
二つの要素があるそうです。
自らを燃やしながら周りを浄化し、
辺りに光を送り続ける姿は
「超我の奉仕」を象徴しているそうです。

一説では、ブータンのバターランプには、
次のような意味合いが込められているそうです。

バターランプの芯は「人間のエゴ Ego」を、
バターランプの燃料であるバターは「人間の無知 Ignorance」を、
つまりいずれも悪しき人間の習性を表していて、
それを「英知・智慧 Wisdom」の象徴である炎が
両者を燃やす様を毎日眺める事によって、自らを戒めるのだと。

その他にも仏教では、
「煩悩 Desire」の闇を照らす「智慧 Wisdom」 の光として、
あるいは「死者への道しるべ」など、
様々な意味合いが込められているようです。

日本に住んでいた頃、
アロマキャンドルが大好きな私は、
街で見かければ思わず買って集めていましたが、
それを灯してゆっくり眺める時間は、
残念ながらありませんでした。

電気の力で、地球でもひときわ光り輝く島となった日本ですが、
このバターランプが私たちに思い出させてくれることも、
まだまだありそうだなと、ふと思ってしまいました。



出典:http://visibleearth.nasa.gov/




2012年3月29日木曜日

動物たちとの距離感

ティンプーは一応「首都」ですが、同じ首都でも東京とは
あらゆる意味で違いがあります。

その1つが、動物達との距離感。

東京の街中では、ペット以外の動物にお目にかかる
機会は、まずほとんどありません。

しかし、チベット仏教を国教とするこの国は、
殺生を禁じているため、街の野良犬達はまさに放置状態。
我がもの顔で、街中を闊歩しています。






しかも比較的体格のいい犬が多いのは、
人間が残飯を餌として与えているからです。

「もったいない」文化は日本だけではなかったようで、
ある意味で循環型の社会が形成されています。

もっとも飢えている者には、気前良く与えるもの。
というのも仏教の教えの1つのようです。

おかげで我が家の生ゴミは実に少なくてすみ大助かり。

もちろん野良犬は狂犬病の危険性がありますから、
注意が必要ですが、殆どの犬は夜行性で、昼間は
お腹まるだし、この上なく無防備な格好で寝ています。

庭に住みついている野良犬が、子犬を生んだりもして、
こんな光景が日常で見れたりもします。





犬だけではありません。
ウシを放し飼いにしている人もいるため、
自分の家の庭にウシが迷い込み、草を食む場面に
遭遇する事だってあります。



屋外だけではありません。
古い家の中では、ネズミがあちこち走り回っています。
さすがの私もこれには我慢できず、ネズミ駆除のための
市販の毒入りケーキを買って来てもらいましたが、
おかげでブータン人は毎朝のお祈りを倍(つまり1時間を2時間に!)
にしなければならないはめになりました。

仕方なく、苦肉の策で子猫を貰ってくることになりました。
パロに住んでいる友人から送られて来た子猫は兄弟(姉妹?)。
一匹だと淋しかろうと、二匹とも飼うことになりました。


ブータン人曰く、
「母親から引き離して連れて来た罪を償うために、精一杯
世話してあげないといけない」

おっしゃる通り。。。



名前はセセ(ゾンカ語で黄色)とナレム(ゾンカ語で黒)。
とってもやんちゃで走り回っていますが、外は野良犬だらけなので、
家の中で飼うことになりました。

すると、お見事。
あっという間にネズミが姿を消しました。

たしかにネズミがただ嫌だからと殺してしまうのは、
人間のエゴかも知れません。
でも猫がネズミを追うのは自然の摂理。

人間が人間のエゴを捨てて、動物と共生することを選ぶと、
こんな社会になるのかと、この国に住んでいると、
首都でさえそう感じさせられます。




2012年2月21日火曜日

インドへの新生児搬送

早朝、早産で生まれて間もない赤ちゃんで、
緊急手術の必要な患者さんを、インドに送りました。


酸素や点滴が必要なため飛行機での搬送
看護師さんが同行します。
空路での搬送を送り出すのは初めてですが、
本当に祈るような気持ちです。


どうか無事到着して、手術が成功しますように。




小児外科は専門性の高い分野。
いくら同じ外科でも脳外科医や泌尿器科医に、
やってくれという方が無理な相談です。

ブータンには、長年この国の小児外科を、
一人で支え続けて来た外国人医師がいますが、
ブータン人の小児外科医はまだいません。
医者だって人間ですから休みが必要です。

このように母と子を引き離すような事態を避けるためにも、
1日も早くブータン人初の小児外科医が
誕生してくれる事を切に願います。